当ブログへの質問
「ほめられようとするなと言われても、ほめられたいという気持ちがどうしても湧いてきて、実際ほめられるとうれしいし、また頑張ろうとモチベーションが上がるんですが、ダメなんでしょうか。」
今回は読者のこの疑問にお答えしたい。
お答えします。
「ほめられたい」と思うこと自体は全くダメではありません。
私は「ほめられたい」という感情そのものを否定しているのではなく、それを「行動の目的(ゴール)」にしてしまうことの危険性をお伝えしたいのです。
「褒められたい欲求」は「自然なこと」
まず安心してください。私は、『ほめられたい』『出世したい』──それは人間としてごく自然な感情だ。むしろ、そうした思いがあるからこそ頑張れるという側面もある と書いています。
また、脳は他者から肯定されたり、共感されたりすることを『報酬』として感じるようにできています。つまりほめられることに快感を感じるのは、生理的な反応であってたとえダメと言われても自動的に感じてしまうものです。 つまり、ほめられて嬉しくなり、モチベーションが上がるのは、脳の仕組みとして正しい反応です。
ではなぜ「ほめられようとするな」と言うのか?
ではなぜ、私は「ほめられようとするな」と言うのでしょうか。
理由は3つあります。
理由① 他人に操作されてしまうから(自己判断軸の喪失)
私は「ほめられたい」と思っていたときの経験から「ほめられることを目的にすると、相手の期待に合わせすぎて、自分の判断基準が揺らぎ始める」 と警告しているのです。ほめられることがゴールになると、上司や部下の顔色をうかがい、言うべきことを言えない「ただの“いい人”」になってしまい、結果としてリーダーの役割を果たせなくなるからです。
理由② 褒められないとやらなくなるから
心理学の「アンダーマイニング効果」で説明したように「褒められる」というご褒美を目的にして働いていると、上司が忙しくて褒めてくれなかったり、当たり前だと思われて褒められなくなったりした瞬間に、「じゃあやらない」とやる気を失ってしまいます。
他人は常にあなたのことを見つめてくれている訳ではありません。一生懸命やったぐらいでは褒めてもらえないのが普通です。 褒めてもらえるはず、と思って頑張ったのに褒めてもらえないときの肩透かし感といったら・・・「評価されないならやらない」「評価されないことで捻くれる」「評価してくれない人を憎む」という思考に陥ることを私は最も危惧しています。
理由③ 本当の評価は「結果で語る」ものだから
目先の「ほめられる(=好かれる)」行動をとるよりも「目的に立脚して判断し、行動し、結果で語る」 ほうが、長期的には信頼され、本当の意味での高評価につながるからです。
この悩みへの「処方箋」
『ほめられたい』という気持ちはガソリンにしていい。でも、ハンドルまで渡してはいけない。
• ガソリンにする: ほめられたら素直に「やったー」「うれしい」と脳内で喜び、それをエネルギーにして明日も頑張ってください。それは健全です。
• ハンドルは渡さない: ただし、行動を決めるとき(ハンドル操作)は、「どっちをやったらほめられるか?」ではなく、「どっちがチームの目的達成に役立つか?」 という基準で選んでください。
この処方箋から導きだすおすすめの思考法
ただ、「ほめられるためにやる(目的)」を「役に立つことをやった結果として、ほめられたらラッキー(結果)」 という順番に入れ替えるだけでいいのです。これを積極的、能動的にやるのです。そうすれば、ほめるほめないという他人の意思に一喜一憂せず、自分の人生を歩めます。ほめられたくて常に周りの顔色をうかがう生き方よりよっぽど精神的な自由を得られます。
もし上司がほめてくれなくても、「自分はチームの役に立った」という事実だけで、自分で自分を肯定できるようになります。これこそが目指すべき「自立した職業人」の姿だと私は思います。

