前章では、組織が機能ごとに分かれている以上、まじめに自部門の責任を果たそうとするほど部分最適に傾く、と書いた。この構造の話には、続きがある。上の階層もまた、同じ構造の中にいるということだ。
現場から見ると、部長が社長の意向を過度に気にしているように映ることがある。私も課長になったばかりのころ、「そこまで(社長の意向を)気にするのか!」と感じたことがあった。
以前『上司は恐れる相手ではなく向き合うべき存在』(第68章)で、上司は敵ではなく、チームを含む組織全体の代表者だと書いた。頭ではそう理解していても、日々のやりとりの中では、そう思えない瞬間がある。
部長は、全体最適の現場責任者である
第111章で、課長が広げるのは「見る範囲」であって「背負う範囲」ではない、全体を背負うのは部長以上の仕事だ、と書いた。
だとすれば、部長は全体最適の現場責任者ということになる。組織全体の方向や存在目的は、最終的にトップが定める判断軸に収れんする。組織が一丸となって動くには軸が要る。だから部長は、自部門の成果よりも、その軸と整合させることに重心を移していく。
つまり「社長を見る」とは、「方針の軸に合わせる」ということだ。これは、課長が自分の課の目標を見るのと構造としては変わらない。背負っている範囲が違うから、見ているものが違う。それだけのことだった。
裁くのをやめると、楽になる
もちろん、中には本当に出世に目がくらんで、社長におべっかを言っているだけの部長もいるだろう。実際、そういう人はいるはずだ。
ただ、見分けようとしなくていい。どちらであっても、課長のやることは変わらないからだ。方針を読み、現場の事実を返す。それ以上でもそれ以下でもない。
変わるのは、こちらの気分のほうである。「また上ばかり見ている」と思いながら接するのと、「この人は全体を背負う立場でものを見ているのかもしれない」と思って接するのとでは、同じ会話をしても消耗の度合いが違う。相手を裁いている間、ストレスは減らない。
部長の都合を想像してみる。それは部長のためではなく、自分のためだ。
次章予告
では、部長が合わせようとしているその「軸」を、課長はどこから読み取ればいいのか。そして読み取ったものを、現場にどう渡すのか。次章では、理念と現場のあいだをつなぐ“翻訳”の話をしたい。
読者への問い
あなたの部長は、何を見て判断しているのだろうか。そう考えてみたことがあるだろうか。
