第六部 疑問に答える 社長から怒られたくないので無理をしてしまいます。

チームの代表

ブログへの質問

ブログで「ほめられようとするな」と書いておられますが「怒られたくない」というのも同じなのでしょうか? 厳しいノルマを達成するために、トップからボロクソに叱られる風土の中で「怒られたくない」という思いから不正が行われた事例は枚挙にいとまがないではありませんか。経営層に現場は従わざるを得ないのなら、中間管理職なんてただの罰ゲームではないでしょうか?

結論から申し上げます。 「ほめられたい」と「怒られたくない」は、リーダーとしての思考回路において「全く同じ」です。そして、その感情のまま管理職の椅子に座り続けるなら、おっしゃる通り、それは罰ゲームにしかなりません。では、何を知り、どう考えるべきか、率直な私の考えを申しあげます。

① どちらも「他人に操作されている」状態である

 私が「ほめられようとするな」と書いた(第1章「褒められれようとするな操作される」)(疑問に答える「褒められたいと思ったらダメなんでしょうか」)最大の理由は、他人の基準で動かされる。つまり、「操作される」からです。「怒られたくない」という感情も同じです。「社長の機嫌を損ねないか」を判断基準にしてしまうと、言うべきことを言えず、決めるべき時に決められなくなります。つまり、どちらの感情も「自分の軸(組織の目的)」を失い、他人の顔色に自分の行動のハンドルを明け渡してしまっている状態なのです。

 厳しいノルマを課す経営トップに対し、「怒られたくない」からと無理を重ねたり、できないことを「できます」と嘘をついて不正に手を染めたりするのは、管理職としての職務放棄です。

② では、中間管理職の役割とは

とはいえ、経営層の判断には「従うのが原則」です。これは以前の記事(第69章「課長に諫言は必要ない」)で書いた通り、賛同するが、迎合はしないというスタンスです。

一見理不尽な要求が降りてきたとき、課長の役割は「無理です」と感情的に反発することでも、「怒られたくないからやります」と安易に迎合することでもありません。 相手の勢いや圧力を正面から受け止めつつ、決して土俵は割らず、自分の有利な間合い(事実と制約の提示)に引き込む。いわば「会話における横綱相撲」の構えが必要です。

具体的には、「実現するには、これだけの追加予算と人員が必要です」「今の体制では、法的にここが限界です」という正確な現場の制約を、淡々と突きつけることです。 報告において、課長の個人的な不安や不満といった感情は、判断を狂わせる不純物でしかありません。また、社長の機嫌をとるために事実を曲げるのではなく「本当に必要な条件なのであれば」しっかる伝えることが大切です。上司が経営判断を誤らないために、我々が差し出すべきは、極限までノイズを削ぎ落とした「高純度な事実」だけです。

よく上司が言う(部下から見ると一見理不尽な)セリフに「できない理由を挙げるんじゃない。どうすればできるかを考えろ。」というものがあります。これを素直に実行しましょう。「この条件さえ整えば実現可能です」と事実として提示する。感情と事実を切り離し、組織のルールの中で与えられた権限を駆使して「現実的な着地点」を見出すことこそが、プロの中間管理職の仕事です。

③ だからこそ、管理職は「罰ゲーム」ではない

 もしあなたが、「ほめられたい」「怒られたくない」と他人の顔色ばかりをうかがうプレイヤーの視点のまま管理職になれば、それは間違いなく「理不尽に耐え続ける罰ゲーム」になります。

しかし、「経営層とはそういう生き物だ」「自分の役割はこれだ」と構造を知り、根拠のないプライドや感情を捨てて、その役割に徹すれば良いのです。 ほめられる、怒られない、ではなく、組織の設置目的の達成を目標とすることで、管理職というポジションが、あなたが自分の力を発揮できる舞台に変わる、私はそう考えています。

この処方箋から導きだすおすすめの思考法

実は叱られる怒られるというのもある意味チャンスだったりするんです。管理職になったり、ある程度の年齢になったりするとなかなか叱ったり怒ったりしてもらえなくなります。でも、人生振り返ってみると怒られて謝ったりする凹んだ経験が新たな視点に気づくきっかけになったりするものです。

直前の「社長はなぜ「優しく」導いてくれなかったのか?」で書いた通り、私自身、社長からの叱責がなければこのブログの中核コンセプトが手にできなかったと思っています。

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