読者からの質問
全編を通じて『耳と目と心で聴く』『相手の立場を想像する』と多大な努力を説いてきたのに、最後に『どうしても合わない2割の相手には、無理にわかり合おうとせず適度な距離感を保つ』と結論づけています。以下の疑問が湧きました。
① 今までの傾聴の努力は、気の合う8割にしか通用しない『梯子外し』ではないか?
② 距離を置くのは個人の逃げであり、実務上の『マネジメント放棄』ではないか?」
読者の方から、私のコミュニケーション論の「一番深い急所」を突く、非常に鋭い疑問をいただきました。確かに、私はこれまで「聴くことには多大なエネルギーが要る」「コミュニケーションとは信頼関係を築くことだ」と書いてきました。そのすべてに嘘はありません。
だからこそ、合わない2割(これ自体学術的な比率ではなく感覚的な比率ですが)の部下に対して「適度な距離感を保つ(感情を切り離す)」という結論が、一見、マネジメントの放棄に見えるのでしょう。しかし、これは決して矛盾でも、逃げでもありません。私の真意をお答えします。
なぜ過酷な「聴く」行為に、「型」が必要なのか
私が「まず、聴く。その際、目と心も使って情報収集せよ。そして『ということは〇〇ですか』と会話の方向性を導く型(会話における横綱相撲)を繰り返せ」とお伝えしたのは、決して「聴くことは簡単なテクニックで処理できる」という意味ではありません。
むしろ逆です。「聴く」という行為は、精神力も体力も奪われる、極めて過酷な重労働だからこそ「型」が必要なのです。
合わない相手、不満ばかり言う相手の話を、気合や思いやり(感情)だけで聴き切ろうとすれば、リーダーは必ずメンタルを壊します。重いバーベルを持ち上げるときに、気合ではなく「正しいフォーム(型)」が必要なのと同じです。「型」を使うのは、リーダーが自分自身の心を守りながら、この過酷な「傾聴」という実務を、どんな相手に対しても最後までやり抜くためなのです。
「好意」は諦めても、「信頼関係」は絶対に諦めない
「コミュニケーションの目的は信頼関係(協働の土台)を築くことである」。この定義は絶対にブレません。ここで区別していただきたいのは、「人間的な好意(分かり合えること)」と「プロとしての信頼関係」は別物だということです。
だから私は無理に分かり合うことは諦めると言いました。しかし、仕事を進めるうえでの最低限の「信頼関係」まで放棄したわけではありません。
人間的に合わなくても、「この課長は自分の話の腰を折らずに最後まで聴く」「仕事の基準が明確だ」「評価を事実でフェアに行ってくれる」。そうした事実とルールの積み重ねによって、「好意まではいかずとも最低限の信頼関係(協働の土台)」を築けます。
ドライな枠組みこそが、最大の「配慮」と「育成」である
最後に、「感情を諦め、ドライな業務の仕組みとして動かすことは、配慮や育成の放棄ではないか」という疑問についてです。
人間的に合わない相手に対し、無理に心を通わせようとすると何が起きるでしょうか。必ずどこかで無理が生じ、言葉の端々に苛立ちや嫌悪感が漏れ、それが相手を深く傷つけることになります。
だからこそ、「あなたの人生や感情に深入りはしない。その代わり、期限と目的と条件を明確にした業務の枠組みの中で、あなたをフェアに扱う」と線を引くこと。これこそが、合わない相手に対する最大の「配慮(無用な傷つけ合いを避ける知恵)」なのです。
この処方箋から導き出すおすすめの思考法
実は私は対話を重視している一方で、毎週一回ノルマとしての1on1ミーティングとか、形式的な面接で時間を消費することには反対なんです。単に対話の対話のための対話ではなく、仕事を前に進めるための対話をしっかりやりたいのです。じゃないと管理職が「対話疲れ」を起こしてしまうと思うからです。
リーダーが対話をする最終的な目的は、相手と仲良くなることではなく、仕事を進めることです。
相手の話を無制限に聞くのではなく、ビジネスで重要な「ゴール」を明確にし、そこに焦点を当てて質問で誘導していくアプローチは、限られた時間で成果を出すために不可欠です。
そしてそのためには「会話における横綱相撲」の型が役に立つ、これが私の見つけた解なのです。
