前章で、評価は最終ジャッジであると同時に育成の道しるべであり、制度を「育成の場」として機能させるべきだと述べた。では、その「育成」とは、そもそも誰のために、何を目指してやるものなのか。
管理職になると、「人材育成も仕事のひとつです」とよく言われる。たしかにその通りなのだが、正直なところ最初はモヤモヤしていた。「育成」という言葉がふんわりしていて、いったい何をどうすればいいのかピンと来なかったからだ。
育成は「会社のため」と割り切る
そこで「育成って誰のためにやるのか?」という問いに立ち戻ると、答えはシンプルで、「会社のため」だと私は思っている。
部下のキャリアを応援することが悪いわけではない。でも私は、部下の人生の責任までは背負えないし、そこまで踏み込むつもりもない。管理職として重要なのは、「まずチーム、ひいては会社にとって戦力となる人材を育てること」だ。
これは決して冷たい言い方ではない。むしろ、部下一人ひとりの夢や人生の目標に100%寄り添えと言われたら、重すぎる。だから「組織の目的を達成するために、人をどう育てるか」という視点を基準に置く。
キャリアデザインまでは踏み込まない
上司の役割は、可愛い部下が「この会社の中で」しっかり能力を発揮し、高い評価に値する働きができるようにしてやることだ。そこに全力を注ぐ。
その結果として、部下にポータブルスキルがついたり、自分のキャリアを描けるようになったりしてもらえれば、より望ましい。だが、部下のキャリアデザインそのものは、部下自身が見出すものだと考える。だとすれば、上司にできるのは、部下が今いる場所で、日々の業務――つまりOJTの中で実力と経験を積めるようにすることまでだ。
キャリア自律の時代だからこそ、の割り切り
ここで、こんな反論が聞こえてきそうだ。キャリア自律が叫ばれる時代に、「会社のため」と割り切る上司は時代遅れではないか、と。
私の考えは逆だ。キャリア自律の時代だからこそ、課長ごときが部下の人生設計を左右できると思うこと自体が、傲慢なのだ。
そもそもキャリアとは、上司が面談室で設計してやれるようなものではない。一定の方向性を初期設定することはあっても、その後の道筋は、本人が様々な経験と教訓を積む中で、おのずと見えてくるものだ。予期せぬ仕事、予期せぬ出会いが人を作る。だとすれば、上司にできる最大の貢献は、キャリアを描いてやることではなく、その素材になる良質な経験を、今いる場所で積ませることだ。仕事で鍛えられ、成果を出し、正当に評価される。会社の研修制度や資格取得制度も、使えるものは大いに使わせればいい。そうした蓄積のすべてが、本人がいつか自分の道を選び取るときの元手になる。
「会社のため」と割り切るのは、部下のキャリアへの無関心ではない。上司の力が及ぶ範囲を正しく見積もった、身の程を知る構えなのだ。
だから、育成の出発点はここに置く
もちろん、個人のやりたいことや希望部署の話は、それはそれで傾聴すればよい。ただ「人材育成」というテーマにおいては、「おかれた場所で役に立つ人材に育てること」を出発点にしたい。
「会社のため」と割り切ることは、決して部下を駒として扱うことではない。上司が踏み込むべき範囲を明確にすることだ。そして、範囲を区切るからこそ、その範囲には全力を注げる。背負えないものまで背負おうとして育成が重荷になるより、よほど真っ当な構えだと私は思っている。
次章予告
では、会社の戦力に育てるとは、具体的に何を伸ばすことなのか。次章では、評価の4つの指標に沿って育てるという、迷わないための考え方を示したい。
読者への問い
あなたは「育成は誰のためにやるのか」と問われたとき、どう答えるだろうか。
このブログでは『考え方やフレームワーク』を扱っています。『明日の現場で即使えるケーススタディ』をnoteで公開しています。当ブログでこれまで語ってきた「型」や「かまえ」を実際の現場場面にあてはめた問題集として読んでいただけます。→【noteはこちら】
