第九部 危機管理 第109章 「気づく」ということ

危機管理

前章では、違和感を覚えたあとにどう動くかを書いた。だが、そもそも気づけなければ、その段取りの出番はない。危機管理の部の締めくくりとして、「気づく力」そのものを取り上げたい。

それは、センスなのか

気づける人と、気づけない人がいる。生まれつきの勘の良さだろうか。これは私にとって長年のテーマだった。

現時点の私なりの結論は、こうである。

生まれつきの直感力ではない。危機意識が大前提にあって、そこに一定の知識と経験が結びついたときに、気づきが生まれる。そう考えるのが、一番しっくりきている。

まず、危機感

「このまま今のやり方で突き進んでいいのか」「これはうちの部署に影響が来るんじゃないか」――そうした問いを、日頃から自分の中に置いておく。

危機感がなければ、目の前を情報が通り過ぎても何も引っかからない。同じものを見ていても、引っかかる人と引っかからない人がいるのは、この差である。掛け算にしたのは、そのためだ。危機感がゼロなら、知識も経験も気づきには結びつかない。

では、その危機感はどこから来るのか。

前章で書いた、私を叱ってくれた上司は、こう言っていた。リーダーの立場になって見ると、いろいろ気がつくんだ、と。

これが答えだと思っている。危機感は、性格から生まれるのではない。責任を負う立場に立つことから生まれる。自分の判断で結果が変わり、その結果を引き受けなければならない――その位置に立てば、否応なく問いが湧いてくる。当時の私は係長で、まだその位置にいなかった。だから「なんで気づかないんだ?」と問われても、答えられなかったのだ。

もっとも、肩書きがつけば自動的に危機意識を持てるというものでもない。年次が来たから座っているだけでは、責任は形の上のものにとどまる。役割を引き受けた者にだけ、それは湧く。

裏を返せば、課長という立場に立ち、自らがリーダーとなった以上、危機感を持つべきだし、持てるということなのだ。

知識は、自分の仕事の外側にも

知識とは、日々の自分のチームの仕事に直結した情報だけではない。

  • 業界紙や業界団体のニュース
  • 社内の通知文、社長メッセージ、社報の記事
  • 他部門のリーダーや同期との雑談、社外のパートナーのひとこと
  • 国や自治体が発表する制度改正や新たな補助制度の動向

こうした「自分の仕事の外側にある情報」をふだんから拾っておく。

「これが自分の課に降りかかってきたら」と置き換えてみる。同じ業界内の事故、他社のシステムトラブルやSNSでの炎上、サプライチェーンの小さな遅延――。一見すると自社と無関係に見える出来事も、自分ごとに引き寄せて考える習慣があれば、備えの厚みが変わる。

経営方針が明確に変わったわけではないのに、役員の発言に微妙な変化が出てきた。資料のフォーマットが、いつのまにか数字重視になってきた。なぜか急に英語の報告書が求められるようになった。人事異動の配置に、一貫性がなくなった気がする――。

こうした変化に「あれ?」と反応できるのは、比べるための蓄積があるからだ。何も知らなければ、変化は変化として認識されない。

経験とは、試して振り返ること

経験とは、単に長く勤めることではない。情報に反応し、自分なりに仮説を立てて動いてみた、その試行錯誤の積み重ねである。

「あのとき、気づいて動いておけばよかった」
「あのサインは、そういう意味だったのか」

そう振り返る機会が、次の気づきにつながっていく。当たった仮説より、外した仮説のほうが学びは大きい。

経験が気づく力を育て、気づく力が次の経験を呼び込む。この循環が回りはじめると、見えるものが変わってくる。

少しばかり、面倒なこともある

そのためには、面倒なこともある。

上司との何気ない会話を聞き流さないこと。ときには飲みの席やオンライン雑談に顔を出して、建前ではない本音を拾っておくこと。そういう場にこそ、表には出てこないヒントが隠れていたりする。

気づく力は、机に向かっているだけでは育たない。

センスではない

気づく力はセンスではない。真の意味でリーダーの役割を引き受けたなら、危機感は自ずと湧く。あとは情報を集め、動いてみて、振り返る。その繰り返しである。

次章予告

次章では、第九部を振り返る。

読者への問い

職場の「小さな違和感」に、あなたはどれだけ反応できているだろうか。

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