質問
人材育成の手法について聞きたい。最近は「私は褒められると伸びるタイプなんです」と自ら言う若手もいますし、実際、褒められればもっと頑張ろうと思うのが自然な感情だと思います。管理職側もパワハラを避けるためもあり、「ほめて育てる」という風潮が強いように思いますが、どう考えているか。
「ほめられようとするな」の、裏返し
この連載の最初に、私は「ほめられようとするな。操作される」と書きました(第1章参照)。今回はその裏返し、ほめる側に回るときの話について、ご質問にお答えします。
アンダーマイニング効果に気をつける
心理学に「アンダーマイニング効果」という言葉があります。もともと自分の意思でやっていたことでも、外から評価やご褒美を与えられ続けると、「評価されないならやらない」という発想に変わってしまう現象です。
たとえば子どもに「勉強したらご褒美をあげる」と繰り返すと、ご褒美がないと勉強しなくなります。大人も同じで、「給料が上がるなら頑張ります」「評価されるなら努力します」という思考には気を付けなければいけません。とりわけ、もともと前向きに取り組んでいる部下ほど、安易なご褒美は逆効果になりえます。
「ほめる」と「認める・感謝する」は違う
もちろん、部下が良い行動をしたときに「いい判断だったね」「あれは助かったよ」と声をかけることは大切です。ただしそれは「評価のためのご褒美」ではなく、「一緒に働く仲間としての自然な反応」であるべきでしょう。「認める」「承認する」「感謝する」のと「ほめる」のは違います。第100章で教え方を書きましたが、そこでも私は「ほめて育てる」とは一度も書きませんでした。意図的にです。
裏を返せば、ほめることは他人を制御する一つの有力なテクニックであるのも事実です。たとえばアドラー心理学では、ほめることは上から目線で相手を操作すること、として戒めていると聞きました。しかしながら、私は何らかの事情でまったくやる気のないチームメンバーを動かすきっかけとして意識的に「ほめること」を使う場合もない訳ではありません。
道具だと知って、鞘に収めておく
ほめることは他人を動かす道具です。ほめてはいけない、とまで言うつもりはありません。
肝心なのは、それが道具だと知っておくことです。無自覚に、日常的に、誰にでもばらまくから効かなくなるのです。だから私は、ふだんはほめて操作しようとするのではなく、事実を事実として認め、感謝を伝えます。「よくやった」ではなく、「助かった、ありがとう」と。ほめるという道具は、鞘に収めておくのです。
ここでは「パワハラを避けるにはほめればいい」という短絡だけは戒めておきたいと思います。ほめの多用でごまかせるほど、部下指導は単純ではありません。だから第八部にこれだけ割く必要があった訳です。
