ここまで、誰に何を教え育てるかを書いてきた。本章では少し角度を変えて、そもそも「教える」とはどういう営みかを考えたい。
職場でしばしば耳にする言葉に「これ、前にも教えたよね」「何度も言わせないでくれ」というものがある。言っている側は苛立ちを隠さず、言われた側は萎縮する。このやり取りはどちらにとっても不幸で、職場の雰囲気を悪くする。
「教えた=できるようになった」という誤解
なぜこんな不毛な場面が繰り返されるのか。背景には「教えた=相手ができるようになった」という誤解がある。だが実際には、聞いただけで完璧に身につく人などほとんどいない。人は教わってすぐにはできないことが多く、できるまでには必ず「試行錯誤」の時間が必要になる。前章までで「型を手渡せ」と書いたが(第95章参照)、型は渡した瞬間に身につくものではない。使ってみて、失敗して、ようやく手に馴染む。
「何度も言わせるな」は、教える側の責任逃れである
ここに、ひとつの発想の転換がいる。
例えば、人事異動で転入したばかりの社員が電話を受けたとする。どの係に振るべきか分からず、隣の係に回した。ところが実は自分の係の業務だった。その結果「課の業務分担表を渡しただろ。ちゃんとやってくれよ」と叱責される。確かにミスではある。だが、メンバーの顔と名前を覚えるだけで精いっぱいの時期に、業務分担まで即座に把握できるかといえば、私だったら無理だ。
「何度も言わせるな」という言葉は、一見すると部下の出来の悪さを責めているように見える。だが見方を変えれば、これは教える側が「自分は一度教えた、あとはお前の責任だ」と、できない原因を相手に押し付けている言葉でもある。教えた内容が身についていないなら、まず問われるべきは、教える側の教え方ではないか。
「会社は学校ではない」という反論について
「会社は学校ではない」「社会人なら自分で学ぶべきだ」という考え方には、筋が通っている面がある。たしかに、いつまでも手取り足取り教えてもらえると思っている人材は困る。学ぶ姿勢のない相手に、どれだけ丁寧に教えても入っていかない。
だが、そこで切り分けが必要だ。姿勢に問題があるなら、それは業務姿勢の問題として向き合えばいい(第96章参照)。
一方、学ぼうとしている人間まで「一度言った」で放置するのは、教える側の怠慢である。「言ったのにできない」「萎縮してまたできない」の応酬に時間を費やすより、教える側が工夫して、新入りに一日でも早く戦力になってもらう方が、チームにとってはるかに有効だ。
教えることは「余計な仕事」ではない
社会人か学生か、甘いか厳しいか――そうした固定観念をいったん外し、チームの目的達成に資するかどうかで判断する。それがリーダーの役割だ。
そう考えれば、教えることは「余計な仕事」ではなく、組織全体の成果を出すために不可欠な営みだと分かる。教える側に求められるのは、「できない理由を追及する」のではなく、「できるまで支える」という構えなのだ。
次章予告
では、どうすれば「できるまで支える」教え方を、チームに根づかせられるのか。次章では、教える技術とリーダーの役割について考えていく。
読者への問い
あなたは、部下が「まだできない」ことを、教え方の問題として考えてみたことがあるだろうか。
